3度の全日本選手権優勝、世界選手権出場と華々しい経歴を持つ栄希和さんですが、5度の手術や自分に直接関係しない騒動に巻き込まれるなど、他の誰もが経験できないような壮絶な過去があります。
しかし、これらの困難を乗り越えて2019年に引退し、現在は至学館大学レスリング部のコーチを勤めています。
今回はそんな栄希和さんのレスリング選手時代についてインタビューし、気持ちの強さの秘訣に迫りました!
栄希和さんのプロフィール
- 愛知県出身
- 至学館高校・大学卒業
- 大学卒業後は(株)ジェイテクトで現役続行
- 全日本選手権3度優勝
- 2015年世界選手権出場
- 2019年レスリングを引退
- 現在は至学館大学レスリング部コーチ
地獄のようにハードなレスリング生活。海外遠征をきっかけに情熱を持つようになった。
ーーーレスリング現役時代はどんな生活を送っていましたか?
朝6時に起きて、6時半から1時間朝練習して、朝ご飯食べて、授業行って、16時半から午後練習って感じの生活でした。高校生のときは片道1時間の通学や寮での仕事もあったので本当にハードだったんですけど、大学に入学してからは空きコマがあるので、その時間で自主練もしていました。
本格的にレスリングを始めたのが高校入学からだったので、最初はもう地獄でしたね。勝てないし、体力もないし…。ロードワークでみんなに置いていかれて迷子になることもありました(笑)。
でも、早生まれだからジュニアクイーンズカップで1個下のカテゴリーに出れて、世界カデットなどにも出場できるようになって。とにかく海外遠征が楽しかったんです。そこで「強くなってもっと勝てるようになったら、こうやって海外に行けるんだ!」と思ってからレスリングに対する情熱が出てくるようになりました。
憧れがいつしか目標に。至学館大学という環境がオリンピックを本格的に目指すきっかけになった。
ーーー同期の登坂絵莉さんを含め、数多くのオリンピック金メダリストがいる環境だと思うのですが、その環境による影響は何かありましたか?
オリンピックで勝つ人を近くで見ているから憧れを持つようになりました。それにオリンピックで勝った人が一番強いとも思っていたから、自分が目指すきっかけにもなりましたね。
自分が目指しているオリンピックですが、自分が出場できなくても周りの選手が金メダルを取ったときは素直に嬉しかったです。同期の絵莉も最初からスター選手だったり、特別注目されていたりしたわけではなかったんです。その中でも努力していたのを見ていたから「絵莉の努力が報われて嬉しい」という気持ちでした。
至学館大学という環境は、普段から絵莉のようなオリンピックで金メダルを取る人の姿を見られるから「私もあのくらいやれば強くなれるんだ」「オリンピックに出場するにはあのくらいやらなきゃいけないんだ」と思うことができました。
5度の手術を経験。しかしオリンピック出場の可能性がある限りは諦めなかった。
ーーーオリンピックを目指す中でたくさん怪我をしたと伺っているのですが、具体的にどんな怪我をしたのでしょうか?
手術は全部で5回しています。膝の骨片を取る手術を1回。手首を左右1回ずつ。あと右肩を2回手術しました。
だから合計3年くらいはレスリングができませんでした。全日本に1回出場したら次の全日本を怪我で欠場するみたいな感じでしたね(笑)。
ーーーそんなにたくさんの大怪我をしてレスリングが嫌になることはありませんでしたか?
怪我をするたびにへこむけど、レスリングが嫌になって辞めたいと思うことはありませんでした。だって、まだオリンピックに出場できる可能性はありますからね。
予選で負けたらオリンピックの可能性はなくなります。でも怪我の場合は、治して予選で勝てば可能性があります。オリンピックに行ける可能性があるのに辞めるということは一切考えられませんでした。
だから、怪我をしていないところは鍛えて、怪我をしているところはリハビリして。オリンピックに出場するためにも「やれることを一生懸命やる」ということを意識して毎日取り組んでいました。
夢の途中で起きたパワハラ騒動。支えてくれたのはこれまでの自分。
ーーー東京オリンピックを目指す中で2018年にパワハラ騒動があったかと思います。騒動によってどんな影響を受けましたか?
チームへの影響が一番大きかったです。司令塔をいきなり失って、チームがバラバラになっていく感じがありました。あと、自主練しに大学に行ったら記者の人がいたり、練習が終わって寮に帰るときに記者がいるから隠れて帰ったりしたこともありました。
事実に反することを「違う」と言ったらネットで叩かれるし、外に出たら人がいるし…。自分たち以外の世界が全員敵になったような感覚でした。
自分たちはただ練習がしたいだけなのにそれすらもできなくなって。だから、チームのみんなにとってストレスのかかる時期だったと思います。
ーーーこの騒動の中、2018年のワールドカップに関して希和さんにも直接影響があったかと思います。具体的にどんなことがあったか教えていただけますか?
私は2017年の12月の全日本で5位だったけど、2018年3月のワールドカップの代表に選出されました。というのも、12月の全日本の上位の選手が都合がつかなくて。でもそれ以下の選手も見たときに、当時はその選手よりも私の方が世界での実績があったから、「栄希和を出した方が世界で勝てる可能性がある」という上の判断で私が代表になりました。
しかも、私が代表に選出されたのはパワハラ騒動が起きる前のことです。
でも私が監督の娘ということもあって、騒動があってから私のことまで探り出すようになって…。「監督の贔屓でワールドカップに出場している」や「他の選手に謝れ」など、SNSで直接メッセージが送られてきたり、地上波で取り上げられたりもしました。
ーーーそのような状況の中、ワールドカップを辞退するという考えはありましたか?
「こんなことになっているからワールドカップに出ちゃいけない」と思って相談したこともあります。
でも、このまま辞退したら世間の「贔屓」という言葉を認めることになるし、出場して負けても世間からは「やっぱり実力がない」と思われることになります。だから、私には出場して勝つという選択肢しかありませんでした。
当日は本当に身体が動かなくてギリギリの試合になったけど、勝ててよかったです。
ーーー試合直後に泣いている写真もありますが、どんな想いからの涙だったのでしょうか?
安堵感だったと思います。ワールドカップに出るか出ないかすごい悩んだし、世間から叩かれながら試合に出る経験なんてこれまでなかったので本当にしんどかったです。
でも、ちゃんと勝って終えられたことに安心したという涙でした。
ーーー厳しい状況でも強い気持ちを持って出場し、結果も出していて本当に素晴らしいと思います。希和さんの何がそのような強い気持ちにさせてくれたんですか?
これまでの頑張りですね。
負けたらこれまでレスリングを頑張ってきたことが全部嘘になるというか、嘘にされると思ったんです。ここで負けたらもう胸を張って「レスリングしてました」と言えなくなるんじゃないかなと思って。自分の過去を守るためにも、「絶対に勝つ」という気持ちで出場しました。
最終的にオリンピックの夢は叶えられずに2019年に引退したけど、自分のレスリング人生に誇りを持って終えることができました。
さいごに
ーーー怪我や騒動など本当に辛いことを乗り越えてきたと思いますが、そんなレスリング人生を通して学んだことはありますか?
目標に向かって努力した経験は財産になるということですね。スポーツの世界は努力しても結果が伴わないこともあるけど、全力で取り組むからこそ「嬉しい」や「悔しい」と感情が動くんだと思います。この経験は日常生活ではなかなかできません。
そして、目標に向かって努力した経験は、その後の人生を豊かにしてくれます。今は至学館大学レスリング部のコーチとして働いていて、一人でも多くの選手がパリオリンピックに出場できるように、指導・サポートに全力で取り組んでいます。
だから、この記事を読んでくださっている方には、目標に向けて努力をして、強烈に感情が動く期間に全力で浸ってほしいなと思います。
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