レスリング選手

【増田奈千】お世話になった人たちのために。オーストラリアから日本人に勝てる選手を育てる。

日本を飛び出し、オーストラリアでレスリング選手兼コーチとして活動する増田奈千さん。オーストラリアからパリオリンピック出場を目指してレスリングに取り組まれています。

しかし、オーストラリアのレスリングはまだ発展途上。国内での知名度は低く、競技に集中できる環境とは言えないのが実情です。

そんなオーストラリアでレスリングに取り組むことになった背景や、現在の活動、今後の展望などをインタビューしました!

増田奈千さんのプロフィール

  • 大阪府出身
  • 堺女子高等学校(現・香ヶ丘リベルテ高等学校)、環太平洋大学卒業
  • 2015年全日本選手権準優勝
  • 大学卒業後は大阪府警へ就職
  • 現在はオーストラリアでコーチをする傍らオーストラリア代表としてオリンピックを目指して活動中

幼少期からレスリングを始めるも惰性で継続。カテゴリ別の全国大会では優勝したものの大学卒業と同時に引退した。

ーーーレスリングを始めたきっかけやこれまでの経歴を教えてください。

レスリングは4歳から吹田レスリング教室で始めました。父がやってたから連れてこられたみたいな感じです。

高校は堺女子(現・香ヶ丘リベルテ高等学校)、大学は環太平洋大学に進学しました。大学の方はもうレスリング部はなくなってしまったんですけど…。

大学卒業のタイミングがちょうど東京2020の前で、白バイに乗って誘導したいという夢もあったので大阪府警に就職しました。でも、結局警察は2週間で辞めました(笑)。

その後はフィジーへの語学留学を経てオーストラリアへワーキングホリデーに行き、そこで出会った人たちにお世話になりながら、オーストラリアでオリンピックの代表を目指しつつレスリングのコーチをしています。

ーーー高校や大学ではどのような選手でしたか?

基本的に全然やる気はなかったです(笑)。

大体みんなオリンピックとかそういった目標があると思うんですが、私の場合そこには一切興味がなく、半分辞めたいみたいな、ただただやってるような感じで続けてました。

高校は部員もかなり少なくて、3年間を通して4〜6人でした。しかも階級も競技歴もレベルもバラバラだったので、平日はまともにレスリングができなかったですね。

なので、平日は基本的にランニングなどの体力トレーニングが中心でした。元々体力もないし、めっちゃキツかったです(笑)。スパーリングはOGの先輩が来てくれた時や、土日に男子がいる高校に出稽古にいった時やるっていう感じでした。

大学に進学してからは練習相手も増えたので、ちゃんとレスリングができるようになりましたね。

ーーーそのような環境でレスリングをしていたんですね。そんな中数々の成績を残されていますが、どのようにして練習に取り組んでいたのですか?

成績と言っても、クイーンズなどの年代でカテゴリーが分かれるものでたまに優勝しただけで、フルで強い人たちが出てくるような全国大会とか全日本なんかでは全然でしたね。それも基本的にはキッズの頃からの貯金だと思います。

小学校の頃は多分強かったんですよね。他のキッズのチームがだいたい週に2回練習してる中で吹田は週4回とかしてましたし。

でも、中学生になると周りもみんな一生懸命やり始めて、だんだん差も縮まってきて…。

全中とかインカレみたいな全国大会は結局1回も獲ってないし、クイーンズやJOCで優勝できたのも、まあ、それまでの貯金です(笑)。

警察に就職したが2週間で退職。ワーキングホリデーを目指してバイト三昧の日々を送る。

ーーー大学卒業後2週間で警察を辞めたとおっしゃっていましたが、何があったんですか?

合わんなって思って(笑)。

2020年に開催予定だった東京オリンピックで、白バイに乗って誘導をしたいという夢があって、警視庁を受けたのですが落ちてしまって。でも、ちょうどその年からスポーツ推薦が始まった大阪府警に受かりました。

厳しいのは分かっていたんですが、一つ一つが本当に細かいし、怒鳴られる理由が腑に落ちないこともたくさんあったんです。

「警察はもっとちゃんとした人が就く職業だ!大雑把な性格の自分には合わない!」と思ってすぐに辞めました。

ーーー警察を辞めてから、どのような経緯でオーストラリアに行くことになったのですか?

最初からワーキングホリデーに行くことを決めていたわけではなかったので、まずは色々なパンフレットを見て情報収集をしました。その中で、元々英語に興味があったし、1年間ワーキングホリデーに行くなら100万円は必要だな、というところに至ったんです。

そんな時に高校時代の監督に警察を辞めたことを報告したところ「たるんでるからうちで働け」と、週2日の数コマの授業を非常勤講師として受け持たせてもらえることになりました。放課後にはレスリング部も見てました。

それ以外の日は地元の中学校の支援学校でお手伝いをさせてもらい、夕方以降は塾のバイト、それが終わったら夜中の2時まで居酒屋で働いて、次の日はまた学校みたいな感じで。
土日も昼間はコンビニ、夜は居酒屋のバイトを入れてました。

その時は実家で暮らしていて、実家にお金は入れているものの公務員を辞めた後ろめたさみたいなものもあってので必死に働いていましたね。

早くお金を貯めて海外に行きたいし、貯金額が毎月変わるのも楽しくて。今考えたら「よくやってたな」と思うほどハードな日々でしたけど、当時は夢中になって過ごしていましたね。

オーストラリアで選手兼コーチとしてレスリング再開。人気を集めるきっかけになるべく自らオリンピック代表を目指す。

ーーーオーストラリアではレスリング選手・コーチとしてどのような活動をされているとおっしゃっていましたが、そもそもどのようにして拠点を見つけたのでしょうか?

オーストラリアでの増田奈千さん
オーストラリアで生活する増田奈千さん

ワーキングホリデーはオーストラリアに行くと決めていたのですが、英語ができなかったのでまずはフィジーの語学学校に行きました。

フィジーの語学学校はオーストラリアでのワーキングホリデーを予定している子が多くて、その子たちがFacebookでオーストラリアでの仕事を探していたんです。日本ではそんな使い方をしないのでびっくりしました。

そこで「もしかしてレスリングをやっている場所もFacebookで探せるんじゃないか?」と思い検索してみると4件ほどヒットしたんです。

それらにメッセージを送ったところ、1件だけ総合格闘技ジムを運営している方が返信をくれました。そして、その人が全土の色々なところでジムを運営している人たちが集まるグループチャットに入れてくれたんです。

ちなみに、オーストラリアにはレスリングチームだけのところは少なく、格闘技ジムのプログラムの一つとしてレスリングがあるというところがほとんどです。

チャットの中で5〜6人ほど「近くに来たらうちに来ていいよ」と言ってくれた人がいたので、声をかけていただいたジムをすべて見てから帰国しようと思いながら、フィジーからオーストラリアへ向かいました。

オーストラリアのワーキングホリデーでは、ファームで一定期間働くとビザの延長ができる制度があります。そのためにまずはファームで働くことにしたんですが、それも言われた仕事と違うやら稼げないやらで、結局5日で辞めました。

合わないと思ったらすぐに辞めちゃうんですよね(笑)。

とりあえずビザの延長は諦めて、1年間で周りきることにしました。でも、とにかくお金もないので、まずはクイーンズランドにいる3ヶ月間はお寿司屋さんでバイトし、その後、声をかけてくれていたブリスベンのチームへ行きました。

そこでボスの家に住まわせてもらいながら、生活費がかからない代わりに無償でコーチをするという条件でお世話になることになりました。

ーーーあれだけ辞めたいと思っていたレスリングですが、なぜオーストラリアでは続けられたのですか?

学生の頃レスリングをしていたときは「一生懸命やらなければいけない」という気持ちがありました。

しかし、オーストラリアは日本と比べると練習のレベルも違うし、みんな自由に取り組んでいます。オーストラリアでの楽しみながら気楽に取り組むスタイルが自分に合っているのかなと思います。

そして、今はオーストラリア代表としてオリンピックに出ることを目標にしています。

レスリングは日本でもまだまだマイナーな競技ですが、勝つ人はたくさんいます。一方で、オーストラリアでは知名度が低いし、世界で勝てる人もいません。何より、人口が本当に少ないんです。だから大会も開催できず、レベルも上がりません。

それなら、「自分がオーストラリアの代表としてオリンピックに出たらいいんじゃないか」と思ったんです。オリンピックの代表になればテレビでも取り上げてもらえるので、オーストラリアの子供達にレスリングを知ってもらえるきっかけになります。

自分がオリンピックに出場して、ここで生活していくために助けてくれたオーストラリアの人たちに恩返しができたらと思っています。

年齢的にもラストチャンスだと思うので、3月のアフリカオセアニア予選に向けて練習しています。

ーーー選手だけでなくコーチもやられているということですが、オーストラリアでコーチをする際はどのようなことを意識していますか?

オーストラリアでレスリングを指導する増田奈千さん
オーストラリアでレスリングを指導する増田奈千さん

オーストラリアでレスリングを教えていると、国民性の違いや環境の違いをすごく感じます。

先ほどの話とも通じますが、日本のレスリング界には切磋琢磨できる環境があるので、目標も持ちやすいんですよね。国民性的にもすごく頑張り屋さんな人が多いです。

一方で、オーストラリアはそもそも試合がなくて目標を持つことすらも難しいです。以前、ボスがキッズの大会を開催したのですが、本当に出場者が揃わなくて。各階級に1人いれば良いという感じで、フレンドリーマッチしかできませんでした。

あと、オーストラリア人はマイペースでのんびり屋さんな国民性でもあるので、練習に来たり来なかったり。17歳になれば車も自分で運転出来るので大学や遊びに忙しくなってさらに練習に来なくなったり。(笑)

最初は「日本みたいに厳しくしないと」と思ったこともありますが、そもそも私自身怒鳴ったり怒ったりすることが苦手なんですよね。非常勤でレスリング部を見ていた時も、基本的には淡々と言うか、優しく言うかみたいな感じでした。

私は怒れないので、キッズたちも友達みたいに接するようにしています。私にはそれしかできないし、それが合ってるんだなと思いますね。とにかく今は勝たせることよりも続けてくれることを大切に指導をしています。

夢はオーストラリアからオリンピック選手を排出すること。日本人選手に勝てる選手を育てたい。

ーーーここまでの話を聞いてすごい行動力だなと思いました。何が奈千さんをそうさせているのでしょうか?

自分の心に正直に生きることだと思います。というと聞こえは良いんですが(笑)。

その環境が合わないと思ったらすぐに辞めてしまうんですよね。でもその代わり、行動力はあると思います。何かやりたいことがあれば、それを実現するための計画・準備はしっかりやります。

やりたければやる、合ってなければすぐ辞めるって感じです(笑)。何かを始めることや変えることは、怖いとは思いません。

ーーー最後に今後の目標や実現したいことを教えてください。

直近では、自分がオーストラリアの代表としてオリンピックに出場することが目標です。

その先の大きい目標としては、ナショナルコーチとして強いオーストラリア人を育てたいです。

ヘレン・マルーリス選手と山本聖子さんのエピソードがすごく格好良くて憧れなんです。
マルーリス選手は2016年のリオオリンピックであの吉田沙保里さんに勝利して優勝しました。そのマルーリス選手の当時のコーチが、吉田さんにアテネの代表選考会で敗れた山本さんだったんですよね。

この話を聞いた時、自分が強くなるより格好良い!と思いました。日本人は強いのでそう簡単には行かないのは承知の上ですが、私が教えたオーストラリア人を、日本人に勝たせるのが私の夢です。

増田奈千さんのSNSアカウント

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