2024年パリオリンピック男子フリースタイル74kg級で銀メダルを獲得した高谷大地選手。
その舞台は高谷選手にとって「夢」ではなく「責務」だったと言います。
スーパーヒーローである兄・惣亮さんの背中を追い続け、時に劣等感に悩みながらも、レスリングと自分自身に向き合い続けた日々。「主役になるのは自分ではなく兄のはず」そんな思いを抱えたまま挑んだパリの舞台。
高谷選手がパリオリンピックやレスリング人生で得たものとはなんだったのか、向き合い続けた先に何があったのかをインタビューしました。
高谷大地選手の経歴・実績
- 京都府出身
- 兄の影響で小学校1年生からレスリングを始める
- 網野中学・網野高校(現・丹後緑風高校)卒業
- 拓殖大学卒業
- 現在は自衛隊体育学校に所属
- 2024年パリオリンピック フリースタイルレスリング74kg級 準優勝
「夢」としてではなく、「責務」として追ったオリンピック。挫折や葛藤を乗り越え、答え合わせとしてたどり着いた銀メダル。
ーーー私たちは「何かを成し遂げるための364日」というテーマでメディアを運営しています。高谷さんはパリオリンピックで準優勝という素晴らしい結果を残していますが、最終目標は何だったのかをお聞きしたいです。
案外オリンピックを夢として置いていたわけではないんです。
次男の惣亮がロンドンオリンピックの舞台で戦っている姿を見て「ああ、自分もあそこに行きたいな」と思ったというのもありますが、スポーツをしている人はオリンピックを目指すのが当たり前で、そこでメダルを取ることが責務というか、そういう風にやっていくものと思っていた節があります。
「周りの人がやっているから」とか、「兄が目指しているし、自分も目指していかないといけないんだな」といった漠然とした捉え方でした。
ーーー意外でした。最終的に高谷選手はパリオリンピックに出場されましたが、それまでにどのようなことがあったのかお聞きしてもよろしいですか?

リオオリンピックは現地で兄のサポートとして現地に行かせてもらいましたが、そこで引退も視野に入れているということも聞いていたので、「次は自分かな」なんてことを漠然と思いながら過ごしていました。
結局東京オリンピックまで頑張ってくれたんですが、兄は初戦敗退、僕は代表になれずという結果で、そこで初めてオリンピックに対して「もういいや」という気持ちになったんです。
自分にオリンピックという夢は大きすぎるし、ああいう舞台は才能がある選ばれた人が出れるものだなとも思ったので、もうオリンピックを夢として掲げるのは辞めようと思って。
東京オリンピックが終わってから「自分からレスリングを取った時に残るものを大事にしたい」という気持ちで、常に自分を向上させるには何が必要か、何を考えるべきかということを念頭に置いて行動していました。
その結果、自然とパリオリンピックに出場できたのかなと思います。
今まで携わってくれた人に何を返せるだろうとか、自分が今までやってきたことの答え合わせができるかなっていう風に思ってたので、決勝で負けた時も、悔しさより尋常じゃないくらいの感謝の気持ちが湧き上がってきました。
「主役になるのは自分じゃない」その思いを抱えたまま迎えた最高峰での決勝戦。それでも最後は、自分に「よく頑張った」と言えた。
ーーー高谷選手は2023年の世界選手権で3位入賞し、パリオリンピックの代表権を獲得しましたが、パリオリンピックの出場が決まった瞬間というのはどんな心境でしたか?

あの瞬間は多分、レスリングをやってて一番嬉しかったですね。何よりもフォール勝ちというのが気持ち良かったというのもあるんですけど。
それこそ一番難しいと言われるオリンピック前年の世界選手権での入賞でしたし、まさか自分が本当にオリンピックに出れるなんて思いもしませんでしたから。
でもその後の気持ちは本当にめちゃくちゃで、もちろん嬉しいんですけど、どうしたらいいか分からないというか。
「本当に自分でいいのかな」「本当に自分が出るのかな」といった気持ちが湧き上がってきて。なんか気持ち悪い感じがしていたんです。
ずっと兄の後ろにいたので、主役になることに慣れないというか、こういったものは自分ではなく兄が受け取るべきものなんじゃないかというふうにずっと思ってました。
でも成し遂げたのは間違いなく自分で、起きていることと自分の気持ちのズレを常に感じていました。
ーーーそこからパリオリンピックの間まではどう過ごされていましたか?
小さい大会でもいいから海外の試合に出ようかとも思ったんですが、やっぱり74kg級に仕上げるというのは時間がかかるなというところがあって。
減量がどうというよりかは、試合に出るとなるとやっぱり練習内容も変わるし、体を絞り上げて、その後少し休んだりとかしていると強化するのに時間がかかってしまうので、あえて試合には出ずにオリンピックに定めて自分の身体強化に時間を充てました。
ウェイトトレーニングであったり、メンタルトレーニングであったり、栄養関連のことであったりをひたすら強化する。それを試合まで徹底したルーティンとしてひたすら続けるという、ロボットみたいな生活をしてましたね。
ただ、壮行会を開いてもらったり、表彰していただいたり、色々な人にすごいねって言ってもらったりしながらも、こういったものを受けるのは自分ではなく兄のような人間であるべきという思いが消えず、ずっと僕の中では気持ちがズレたままでした。
結局「そんなに期待されても、多分成果は出せないよ」という思いは消えず、パリにはその気持ちのまま行きました。
ーーーできる準備はしつつも気持ちの折り合いはつかず、という状況だったんですね。そんな中でもパリでは決勝まで進みましたが、決勝戦でフォールの笛が鳴ったあと、膝に手をついて何かを考えているような時間がありました。あの時はどういった心境でしたか?
正直フォール体勢になっている時から、走馬灯ではないですけど、今までのことを思い出していて。
結局フォール負けという形で終わってしまって、「ああ、負けちゃったか」という気持ちと一緒に、スポーツの最高峰の舞台で、しかも決勝まで来られて、なんて幸せ者なんだろうという気持ちもありました。
そんな決勝戦でフォール負けをするというところが本当に自分らしいななんて思いながら、「本当によく頑張ったな、よしよし」っていう、最終的には自分で自分を褒められた時間でした。
ーーーその後、相手選手を讃えて抱え上げるシーンがとても印象的でした。あの行動はどういった気持ちから出た行動でしたか?

最終的にはこの場をどう盛り上げてやろうかっていう気持ちでしたね。
相手を抱えあげる瞬間、「このままバックドロップでもしてやろうか」っていう気持ちもないことはなかったんですけど(笑)
でもやっぱりお祭りはお祭りらしく終わろうと思って。
これやったら「負けたくせに」って言われるんじゃないかって半分怖がりながらではあったんですけど、勢いに任せてやったら後々みなさんに素晴らしいことだと言ってもらえて、あの瞬間から、本当にオリンピックって素晴らしいものだと思いました。
「思い切りやって華々しく散ろう」と挑んだ舞台。自分にもレスリングにも向き合い、兄と歩んだ道のり。
ーーーではここからオリンピックまでの日々をどのように過ごしていたのかをお聞きしたいと思います。まず最初に、普段はどのようなことを意識して練習されていますか?

マット練習では常に「今日は何をしよう」って考えていました。
例えば相手がアメリカ人選手だと想定して、この選手はどういった技をかけてくるのかを常に意識して、イメージして、常に想定した選手を練習相手に投影しながら戦うイメージを作っていました。
スクワットをするにしても、ただスクワットをするのではなく、レスリングだったら足のどの部分に力を入れて構えているのか、どの部分に力を入れるとタックルに入れるのかを意識してスクワットする。
パワーマックスをするにしても、ただこなすのではなく、レスリングであれば今どのシーンでどういった状態になっているか、脚がどう疲れているかを意識してバイクを漕ぐ。
一つひとつの動作に対して、どうやって自分の体を動かすのか、脳で意識しないと体は動かせないので。
反射で動くのではなくて、まずは脳で考えて体を動かすということを何千、何万回繰り返すことによって、勝手に動くというシステムを作っていったというところですね。
それをしていくことで、メンタルも脳でコントロールしていく。
なんで自分がそういう気持ちになっているのか、なんでうまくいかないのか、なんで悩んでいるのかっていうことが分かってしまえば、それを考えて自分で情報収集することで対処できる。そういうふうに考えてやっています。
ーーー全日本やアジア選手権、世界選手権とこれまで様々な大会に出場されてきましたが、毎回どういった心境でマットに立っていますか?
自分がこの試合で何を得ることができるのか、何をどういうふうにしていくかということと、これまでの練習の答え合わせのつもりでマットに立っているというのはどの大会でも基本的に変わりません。
どの試合も緊張はしていたのですが、自衛隊の米満コーチに「緊張している」と伝えた時に、「緊張しているんじゃなくて、身体が戦う準備をしているだけだから、すごく調子いいよ」という言葉を頂いて、確かに緊張している時の方が動きもいいし、そうだよなと。
そう思えるようになってからは緊張することを大事にしていました。
ーーーパリオリンピック出場に至るまでは決して順調なことばかりではなかったかと思います。どのようなモチベーションでレスリングを続けてこられましたか?
正直、常にレスリングが嫌いで、いつ辞めてもいいと思いながらも辞める勇気もきっかけもないっていう感じで続けてきました。
そんな中でもレスリングを続けられたのは、兄の背中を追い続けてきたおかげで辞めずに済んだというのが正しいですね。「モチベーション」という格好良い響きにするにはもったいないんですけど。
東京オリンピックが終わって紆余曲折あったんですけど、そこからは自分の成長する過程というものを楽しめるようになりました。
レスリング以外でも自分の新しい考え方だったり、新しく生まれた自分の価値観だったり、「もっとこれができるようになりたい」「あれができるかも」っていうのがすごく楽しくて。
そのおかげで高いモチベーションを保ち続けることができて、意識の高い生活を送ることができたと思います。
ーーーずっと65kg級で出場されていたと思いますが、74kg級に階級を上げたのはなぜですか?
自衛隊体育学校に入校後初めての天皇杯優勝が65kgだったので、自分が世界で勝つなら65kg級という気持ちでいました。
74kg級は勝つのが難しい階級で、兄ですらなかなか勝つことができない階級で自分がやっていくことは無理だし、65kg級でしか戦うことはできないんだろうなという部分もありました。
でも東京オリンピックの代表権を逃して、減量苦もあって、もう辞めたいと思った時に兄に相談するとこう言われたんです。
「そんなに辛そうにレスリングするくらいなら、階級を上げて最後くらい楽しくやったら」
兄も86kg級に上げたし、じゃあ自分も最後挑戦してこれで辞めようかなと。
65kg級でも74kg級でもオリンピックの日本の出場権だけは他の選手が獲得してくれていた状況だったので、優勝してプレーオフに持ち込めたらいいなあくらいの、半分記念って思ってたんですけど、出てみたら意外と戦えて。
だから「勝つぞ」というよりかは「思い切ってやって華々しく散ろう」という気持ちでしたね。
背中を追い続けた兄と、今は対等な関係に。劣等感からの解放は、自分を受け入れることから始まった。
ーーーお話を聞いていると、お兄さんの惣亮さんは高谷選手にとってとても偉大な存在であるように感じます。惣亮さんとの関係性についてお聞きしてもよろしいですか?

最近は兄弟である時もあれば、個人の討論者である感じですね。
弟でもあるし、同じ目線で話もする。
いろんな分野の本を読むようになって、自分の中で考える力がついてきたというのがそういった関係性になれた要因かと思います。
自分の意見を投げかけてみたり、兄からも問いかけをもらったり、今まで自分ばかりが質問していたところが、兄からも質問されるようになって、その中でお互いの意見を言い合えて、今すごくいい関係性だなあって思っています。
昔は僕自身「高谷惣亮の弟」という立場が居心地がよくて、それが僕のステータスでもありました。
一方で、やっぱり劣等感というものもすごく持っていましたし、お兄ちゃんみたいにできない自分が嫌になったり、観客席から応援する自分はなんでいつまでもこっち側なんだろうと思うこともあったりして。
兄だけでなく他人に対してすごい劣等感を持っていて、だからこそ兄みたいな考え方をしないといけないし、ポジティブに生きていかなきゃっていうプレッシャーもずっとありました。
ーーー昔は色々な気持ちを抱えていたんですね。現在は対等な関係性を築けているということでしたが、今の高谷さんにとって惣亮さんはどんな存在でしょうか?
兄なしでは語れない人生なので、本当に感謝していて、今はこの恩をどういう形で返していこうかということを考えています。
兄が頼ってくれれば徹底的に協力したいし、今兄は僕の出身校のコーチでもあるので、兄を通して学校にも返せるものがあると思うし。
今まで僕が得たものでどう返していきながら、どう2人で成長していくかということを考えながら生活しています。
ーーー惣亮さんとの出来事で心に残っているものはありますか?

2つあります。
一つはリオオリンピックでのことです。
兄の試合が終わって控え室に戻った時に、初めてちゃんと泣いているところを見ました。
そこで「俺ができんかったから、お前に任せる」と握手したんですが、あの握手が人生で一番重い握手だったなと思います。
もう一つは、パリオリンピック前に兄が務める拓殖大学を訪ねたときのことです。
そのときスパーリングをしたんですが、「俺が兄ちゃんと本気でスパーリングをするのは最後かもしれないな」と思ってて。
僕の中では、兄に負けて「やっぱ強かったわ」って言ってパリに向かうつもりだったんですが、ほとんど完封に近い形で僕が勝ったんです。
そのとき、兄も僕が絶対にメダルを獲ると確信したみたいでした。
兄に対して「超えた」というより、「本当によくここまで耐えてくれたな」という気持ちの方が大きかったです。
ずっと背中を見続けてきたけど、ようやく横に並べたような気がしました。
ーーーありがとうございます。とても素敵な関係ですね。先ほど劣等感という言葉が出てきましたが、克服したきっかけのようなものはありますか?また、それによって起きた変化も教えてください。
「嫌われる勇気」という本を読んだことがきっかけです。
その本には自分の考えていたことの答えみたいなものがたくさん載っている気がして、読めば読むほど自分にまとわりついていた鎖みたいなものがどんどん外れていくような気がしました。
それから心理士さんとお話をする機会があって、「自分の気持ちをどうやってポジティブにしたらいいですか?」と聞いた時に、「別にポジティブにする必要はないんじゃない?」と言われたんです。
「そういうふうに考えてしまうのがあなた自身なんだから、それを受け入れてしまった方が対処できるよ。逆にそのネガティブをどういうふうに受け入れるのか考えた方がいいんじゃないか」という言葉のおかげで、これでいいんだってすごく心が楽になりました。
ネガティブになるのも、劣等感を抱えているのも自分なので、これにどう対処して行動していくかを大事にしていけばいいんだと。
自分は自分であるし、人は人である。自分のことは自分で対処していくべきことで、これは人に左右される必要がないことだと思えるようになりました。
レスリングが教えてくれたスポーツの価値や感謝の意味。スポーツが繋ぐ人と人。
ーーーパリの現地で、スポーツは勝ち負け以上の価値があるという言葉を残されていましたが、高谷選手にとって、スポーツの本質的な価値とはなんでしょうか?

難しくは言えないんですけど、ある意味娯楽だし、ある意味人生でもあるし、なくてはならないものでもあると思っています。
スポーツの起源というのは平和であり、スポーツを通して人との繋がりが生まれて、人と仲良くなって、繋がりが強固になっていく。そういうものを作っていくのがスポーツだと思っています。
勝たなきゃ意味がないとか、成果を出さないといけないというのではなく、スポーツそのものを大事にしていかなきゃいけないんじゃないかなと。
スポーツで人の人生を狂わせてしまう、子どもたちの人生を狂わせてしまうようなことはあってはいけないので、そこを大人たちが勘違いしてしまうのは恐ろしいことだと思います。
僕にとってスポーツは、みんなで楽しんで、人を笑顔にして、心身ともに健康になるために必要なものですね。
ーーー最後に、パリオリンピックでの経験を通じて、自分の人生や価値観が変化した部分があれば教えてください。
いろんな人が言っていた「人に感謝する」ということの本当の意味が、今まではあまり分かっていませんでした。
「何かをしてもらったらそれは感謝するけど、誰彼構わず感謝するのは難しいんじゃないかね?」と思っていました。
でもやっぱりパリオリンピックを経験して、オリンピック一つ取ってもとんでもない数の人が関わっていることに気付いて、それが本当の意味で感謝するっていうことを教えてくれました。
ものを一つ買うにしても背景にはいろんな人の協力があり、いろんな人の仕事の上で成り立っているので。
僕がパリオリンピックで得た一番のことは、心の底から人に感謝することです。
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