体が弱かった幼少期、祖父の勧めでレスリングを始めた屶網さら選手。
しかし、競技人生は決して順風満帆ではありませんでした。高校1年生から現在まで3度膝を手術。特に2度目の怪我では終わりの見えないリハビリ生活に心が折れる経験をしました。
それでも彼女を支え続けたのは、同期や先輩、周りで支えてくれる人の存在。「個人競技ですが、1人では絶対にオリンピックという大きな舞台では戦えない」という言葉からは、人とのつながりを何より大切にする屶網選手の価値観が伝わってきます。
「2028年ロサンゼルスオリンピックで金メダルを取る」という強い想い。挫折と復活を繰り返しながら、仲間に支えられて歩む彼女の競技人生に迫りました。
屶網さら選手の経歴・実績
- 大阪府出身
- 祖父の紹介でレスリングを始める
- 至学館高校、至学館大学卒業
- 現在はKeePer技研株式会社に所属
- 2023年U-23世界選手権57kg級優勝
自分があの舞台に立てたら…みんなが目指す憧れの舞台。夢の話が現実味を帯びた高校2年生のアジア選手権。
ーーー私たちは「何かを成し遂げるための364日」というテーマでメディアを運営しています。最初に「何を成し遂げるために364日を過ごしているのか」「最終目標は何なのか」をお聞きしたいです。
最終目標は、2028年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを取ることです。
ーーーなぜオリンピックという舞台を目標として掲げているのですか?
レスリングの一番大きな試合がオリンピックだからです。
みんなもそこを目標にやっているし、幼少期からテレビでも見ていたというのもあります。「自分があの舞台に立てたら、どういう人生になるのかな」という気持ちがあり、目指したいと思うようになりました。
また、高校2年生で出場したアジア選手権で2位になれたことも大きいです。
その時、自分は今アジア選手権で2位になれるぐらいの位置にいるんだから、もっと練習すればさらに上を目指せるのかなと。そこが特にオリンピックを意識したきっかけだったのかもしれないです。
パリオリンピック予選での敗退。実力差を受け入れ、2028年ロス五輪に照準を合わせる。
ーーー屶網選手は幼少期から各世代でコンスタントに結果を残されているかと思います。普段の練習は何を意識して取り組まれていますか?

自分はパワーがあるので、前に出て圧力を相手にかけるということを意識してやっています。
あとはたくさん膝の怪我をしてきたので、今は脚を触らせないことを意識して、触らせても抱え込まない、しっかり相手に圧力をかけてタックルを切るということを意識して練習しています。
軽量級の軽い選手と練習する時は、なるべく力を使わないことを意識して。スピードだと負けてしまうんですが、組み手を意識するようにしたり。
重量級の選手とやる時は気にせず力を使えるので、自分の得意な技もやるし、苦手な部分の克服にも取り組んだりします。
でもやっぱり楽しいのは、得意なことをしている時です。
あまり考えてやるタイプではないので。考えなきゃいけないとは思うんですが…(笑)
ーーーパリオリンピック予選も十分有力候補だったかと思いますが、どのような気持ちで臨まれていましたか?
まず、2022年12月の天皇杯は全く思うような結果ではありませんでした。
加えて、2023年4月に開催されたU23世界選手権の予選で櫻井つぐみ選手(後のパリオリンピックチャンピオン)に完敗したことで、かなり自信もなくなってしまって…。
周りの方や親は「オリンピック目指して頑張って」と期待してくださっていたんですが、自分の中ではオリンピックって簡単に言える言葉じゃないなと思ってしまうくらい。
それでもやっぱり、所属する企業の方も応援してくださっているので「頑張ろう」という気持ちで臨んだんですが、明治杯でもテクニカルスペリオリティで負けてしまいました。
「ああ、実力差があったんだな」と受け入れることができたので、逆に吹っ切れるのも早くて。
2028年のロスは本当にレスリング人生の中で最後と決めているので、もうそこに向かって頑張るしかないと思いました。
ーーーこれまで数多くの大会に出場されていますが、毎試合どのような気持ちで臨まれていますか?

海外の試合だと相手選手のことは知らないこともありますし、「何が何でも勝つ」という気持ちでやっています。
一方で、やっぱり日本人の選手は強くて、ほとんどの選手が金メダルを獲るので、「自分も獲らないと」という思いで頑張っています。
基本的には強気で試合に臨めるタイプです。
ーーー2024年12月の全日本では優勝されていましたが、その後、世界選手権出場を賭けた6月の明治杯では本戦・プレーオフともに敗退という結果でした。そのような状況で2025年6月の明治杯はどのような気持ちで臨まれましたか?
明治杯は「今回も優勝して、世界選手権に行こう」という気持ちで臨んだのですが、なぜか不安が大きかったんです。
何が不安なのかも自分では分からなくて。でもやらないといけないというのがあって。そういう中での試合になりました。
パリオリンピックの予選のときは本当に差を感じたので、ある意味仕方がなかったというか、「もう次に向かうしかない」とすぐ切り替えることができたのですが、今回の明治杯はガーンと落ち込んでしまいました。
「世界選手権にも出られないのか」と。
自分の中で切り替えているつもりなんですが..。
でも早く切り替えないと12月の天皇杯もすぐに来るので。とりあえず、練習をひたすら一生懸命やるしかないと思っています。
「マットの外でもしっかりやっていれば弱くならない。」同期や仲間と乗り越えた、3度の手術という大きな試練。
ーーー屶網選手は膝の怪我に悩まされていた印象があります。その時の状況を聞かせてもらえますか?

膝の手術は左が2回、右が1回です。
一番最初の手術が高校1年生の10月、2回目は高校2年生です。
2回目は慢性的に何回も痛めていて、最終的にパチンと切れるみたいな怪我でした。
大学2年生の3月にも3回目の手術を行い、最終的にリハビリ通院などが終わったのが大学3年生でした。
ーーー学生生活のほとんどを怪我と隣り合わせで過ごされたんですね。そんな中、どういった気持ちで過ごされていましたか?
膝前十字靭帯の手術は1年間レスリングができないので、結構しんどかったです。1回目も辛かったんですが、特に2回目のときは先が見えずに心が折れてしまいました。
それでも、2回目の手術を終えて復帰したときに、全日本選手権で強い方たちに勝って優勝できたんです。なので3回目の手術の時もまた頑張れば結果がついてくると思えて、それで乗り越えました。
リハビリの期間、練習の時はなるべくマットの方を見ないようにしていました。マットで頑張っている選手たちを見ていると、辛くなって自分のトレーニングもできなくなってしまうので…。
「復帰したときに、あの選手に勝つ」という思いで、一生懸命メニューに取り組むということをしていました。
ーーー怪我や手術を乗り越えて優勝したときはどんな気持ちでしたか?

自分が怪我をしていたときも同級生やチームメイトは結果を残していて、自分だけ置いていかれているなと感じていました。
なので、優勝できたときは本当にうれしかったです。
怪我で辛かった期間が長かったのですが、その間も一生懸命トレーニングをしていてよかったと思いました。
リハビリの期間中、「マットの外でも、しっかりやっていれば弱くなるわけじゃない。サボればサボるだけ、復帰したときに自分に返ってくるよ」という言葉を先輩にかけていただいたことがあって。
それは自分の中で大きな言葉だったのかなと思います。
個人競技でも1人では決して戦えない。周囲の人とのコミュニケーションを大切に。
ーーー普段はどのようなことを大切に過ごされていますか?

私自身、1人になる時間が一番寂しいと思うタイプなのと、人と話すことでいろんな人の考え方などを聞けるので、コミュニケーションを大切にしています。
先輩や後輩とは私生活の話もしたりするんですが、レスリングのことも話したり。
同級生とはシャワー室や帰り道でも、その日の練習のここが良かったとか、逆にここが悪かったとか、そういうことをよく話します。
あと、高校生の練習パートナーが怪我したことがあって。自分も怪我で落ち込んでいたときに先輩からいろんな言葉をかけてもらえて、それで頑張れたというのもあり、「前向きに頑張ってほしいな」という思いで声かけをしたりしています。
ーーー同級生のみなさんや屶網選手のご兄弟も、国内大会や国際大会で多く結果を残していると思います。みなさんは屶網選手にとってどのような存在ですか?

同期は本当に大きい存在です。
特に怪我で悩んでいた時期は本当に支えになりました。手術やリハビリで練習前や寮での仕事に参加できないときも私の分を同期がやってくれていたし、いつも気にかけてくれて、帰ってきても優しく受け入れてくれました。
それに、みんな一生懸命練習をやるんです。だから自分も「サボったら駄目だ。みんなが一生懸命やっているから一生懸命やらないと」と思って取り組んでいます。
私には弟と妹がいて、全員レスリングをやっています。
弟はお互い県外でレスリングに取り組んでいるのであまり顔を合わせないのですが、試合会場で会った時はやはりレスリングの話になりますね。
実は、妹にはオリンピック階級の57kg級で優勝という目標では先を越されています。当時私は非階級の59kg級でしか優勝経験がなかったので。
だから余計に、明治杯で優勝して57kg級で世界選手権に行きたかったんです。これからは階級も一緒になると思いますし、切磋琢磨できるいい関係だと思っています。
ーーーレスリングを通して、どんな選手になりたいですか?

やっぱりいろんな人から応援されるような選手になりたいなと思っています。
個人競技ですが、1人では絶対にオリンピックという大きな舞台では戦えないと思うので。
やっぱり周りの方の支えが必要だと思うし、たくさんのサポートや応援をして頂けるような選手になりたいです。
屶網さら選手のSNSアカウント
- Instagram(@natami_sara1106、@natami_sara)
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