「僕、レスリングは副業だと思ってるんで。」
冗談めかしてそう語る小野正之助選手。義務でやっているという感覚がまるでない。区切りも目標もあえて設定せず、「早くレスリングがしたい」と思えることだけを大切にしているレスラーです。
そんな彼の代名詞である落としの技は、誰かに教わったものではありません。小学6年生の修学旅行を辞退してまで世界選手権を見に行くほどのめり込み、憧れの選手の映像を来る日も来る日も見返しながら、独学で自分の武器へと仕上げていきました。
2024年、実戦から2ヶ月離れた満身創痍の状態で臨んだ世界選手権を制覇。現在はアメリカ・ペンシルベニア州立大学に拠点を移しています。
今回はそんな小野正之助選手に、得意技誕生の背景、怪我と向き合ってきた道のり、そしてレスリングとの向き合い方について話を聞きました。
小野正之助選手の経歴
- 島根県出身
- 鳥栖工業高校卒業
- ペンシルベニア州立大学所属
- 2024年 アジア選手権 フリースタイル65kg級 3位
- 2024年 U20世界選手権 フリースタイル61kg級 優勝
- 2024年 世界選手権 フリースタイル61kg級 優勝
アリエフ選手と交換した一枚のTシャツ。そこから独学で磨き上げた得意技。
ーーー小野選手といえば落としの技だと思います。この技はどのようにして生まれたんでしょうか?

あの技のベースになっているのは、ハジ・アリエフという選手です。アゼルバイジャンの選手で、世界選手権を何度も制している強豪ですね。
2017年のパリで行われた世界選手権の決勝で、彼があの技を使う場面を見て、「これをやろう」と決めたのが始まりでした。
ただ、当時はまだ日本では知られていない技だったので、周りに話しても「それって、落としてからのタックルでしょう」というような反応で。「いや、そうじゃないんだけどな」ともどかしい思いをしていました。
ーーーそもそも、アリエフ選手を意識するようになったのはいつ頃からだったんですか?

2015年に世界選手権を見に行ったことがきっかけです。会場はラスベガスでした。
当時、小学6年生だった僕は修学旅行で広島に行く予定だったんですが、それをやめて親に頼み込んで世界選手権を見に行くことを選びました。
その会場に、アリエフ選手がいたんです。当時はまだ、彼がどれだけすごい選手なのかよくわかっていなくて、「顔を見たことがあるな」というくらいの認識でした。
そこから海外の試合をよく見るようになって、2017年の61kg級は本当にすごかったんです。アリエフ選手だけじゃなく、キンチェガシビリ選手やラシドフ選手もいましたし、ウグエフ選手も僕は大好きで、スマホの待ち受けにしていたくらい憧れていました。
そんな中、2018年の世界選手権に行った時、技を真似しているアリエフ選手が目の前にいたので声をかけてみたんです。そうしたら、Tシャツを交換してくれて。「優しい人だな」と思いましたし、そこからさらに彼の試合を追いかけるようになりました。
ーーー日本ではまだ知られていない技を、教えてくれる人がいない中でどうやって身につけていったんですか?
試合の映像を録画して、スローモーションで再生しながら、1つの技を100枚くらいスクリーンショットに撮っていました。それをコマ送りの漫画のようにして毎日研究していたんです。
ーーー小野選手は構えがとてもコンパクトなのが特徴的ですが、あのスタイルにした理由は何だったんですか?

これは、当時の恩師である小柴先生の影響が大きいです。「体が小さいんだから、もっと小さくすればいい」と言われたのがきっかけでした。
小柴先生は、選手一人ひとりの個性を生かしてくれるタイプの指導者で、身長が低く、体型もずんぐりしていた僕に対して、「もっと小さくすれば、相手にとっての的が小さくなるぞ」と教えてくれたんです。
「確かに」と納得して、このスタイルを確立したのが、中学3年生の4月頃でした。
目標は設定しない。ただレスリングをやりたいから、毎日練習する。
ーーー山梨学院大学時代は怪我に苦しんでいたイメージがあります。当時はどんな気持ちで過ごしていましたか?
大学1年生の頃は全然勝てず、2年生になると怪我をし、ほとんど勝てない時期が続きました。
ただ、僕はもともと筋トレが好きだったので、そのつらい時期もレスリングをしていない時も筋トレばかりしていたんです。怪我でレスリングができない時期は「今は休む時期だ」と割り切って、体を鍛えることに時間を使っていました。
ーーー筋トレに気持ちを向けながら焦らずその時期を過ごしていたんですね。復帰を急ごうという焦りはなかったんですか?
なかったですね。区切りを設定してしまうと、それが終わった瞬間に「終わり」になってしまう気がするんです。よく冗談で「レスリングは副業だ」と言っているんですが、それくらい、義務感ではなく楽しさでやっているという感覚なんです。
区切りをつけて、必死に頑張って、それから休憩する。そういうスタイルの人もいると思うんですが、僕からすると「その人のやりたいことって休むことなんじゃないか」と感じてしまうタイプで。
試合前になれば、その試合に向けて努力はしますが、それ以外に大きな目標を掲げることはあまりありません。毎日、「早くレスリングがしたい」と思えること。それが、僕にとっての一番の目標というか、今できていることなんです。
ーーーその考え方は、他の選手とは大きく異なる部分かもしれません。ロサンゼルスオリンピックのような目標を掲げていれば、怪我をしても焦って復帰しようとするのが自然だと思います。
そうですね。ただ、大学生の頃、最初に怪我をしていた時期は、正直そういう感覚を持てていませんでした。「今日はきついな」と思いながら無理に体を動かして、それがまた怪我につながる、ということもあって。
だから、目標に追われて練習するよりも、自分が「やりたい」と思える状態でマットに立てるかどうかの方が、僕にとっては大事なんです。
出場できただけで嬉しかった。満身創痍で迎えた2024年世界選手権。
ーーー2024年の世界選手権で優勝されましたが、その瞬間はどんな気持ちだったんですか?
その年のU20世界選手権を終えた後、帰省を挟んで9月頭から練習を再開しました。ただ、2・3回練習したところで帯状疱疹のような症状が出てしまい、2〜3週間練習ができない状態が続いたんです。
復帰したタイミングが日体大との合同練習でした。その初日に足首を負傷してしまい、剥離骨折と内側・外側の靭帯損傷という診断を受けました。
そこからはプールでのトレーニングと筋トレしかできず、実戦から2ヶ月ほど離れたまま、レスリングの練習をせずに世界選手権に臨むことになったんです。優勝した瞬間は嬉しかったですが、それ以上に出場できたことへの安堵の方が大きかったですね。
ーーー同じ2024年には、アメリカのFloWrestling Night In Americaにも出場されていました。これはどんな経緯だったんですか?
正確な経緯は覚えていないんですが、世界選手権の時にFloWrestlingの関係者と話す機会があって、そこから「試合をしよう」という話になったと思います。
ーーー対戦相手のスペンサー・リー選手は、その直前のパリオリンピック57kg級で銀メダルを獲得していました。対戦が決まった時は、どんな気持ちでしたか?
正直、格上の相手だと思っていました。ただ、樋口黎選手がオリンピックの決勝で勝っている相手でもあるので、自分も負けられないなという気持ちはありましたね。
ーーー会場は完全アウェイだったと思います。その中で勝った時は、どんな気持ちでしたか?
本当にホッとしました。試合中は自分が自分ではないような、第三者の視点で試合を見ているような感覚になっていて。あの時がこれまでの試合の中で一番緊張したかもしれません。それも含めて楽しめる試合でした。
片足のレスラーとの出会いが導いた、ペンステートという家族。
ーーー現在はアメリカのペンシルベニア州立大学(ペンステート)に在籍されていますが、そもそもアメリカに渡ろうと思ったきっかけは何だったんですか?
2025年の1月から3月にかけて、ペンステートに練習で行きたいとずっと思っていました。実際に行ってみると、想像以上に環境が良くて、「ここでやりたい」と直感的に感じたんです。
迷っていても答えは出ないので、やりたいと思ったことはやる。そう決めて、渡米を決断しました。賛否はありましたが、行って良かったと思っています。
ーーー数ある大学の中で、ペンステートを選んだ理由を詳しく教えてください。
ペンステートは、ここ十数年でアメリカで最も強い大学の一つです。
加えて、もう少し前の話になるんですが、明石家さんまさんと中村玉緒さんの番組「あんたの夢をかなえたろかスペシャル」に出演した際、片足のレスラーであるアンソニー・ロブレス選手に会いに行ったことがあったんです。
その時、彼に「好きな選手は誰ですか」と尋ねたところ、返ってきたのが「ケイル・サンダーソン」という名前でした。「誰なんだろう」と気になって調べて、そこから試合を追いかけるようになったんです。
そのケイル・サンダーソンが今の僕のコーチです。今回、日本に一緒に来てくれているコーチは、彼のお兄さんにあたります。
実際にペンステートへ行ってみて感じたのは、チーム全体が家族のような一体感を持っているということでした。全員が同じ方向を向いて努力している環境で高い集中力で取り組めています。
ーーーアメリカでは、1日をどんなふうに過ごしているんですか?

朝練習がある日はやりたい人だけが道場に集まる形です。コーチは道場にいてくれるので、自分でパートナーを見つけて練習して、わからないことがあればその場で聞けます。
練習が終わったら学校に行って、授業がある日は3〜4時間ほど。その後にまたレスリングの練習があって、夜6時か7時くらいから、日本語が話せるアメリカ人の方と2時間、勉強をします。課題がきちんと提出できているか、授業についていけているかを毎日見てもらって、それから寝るという流れです。
正直きついですけど、やりたくてやっていることなので。練習も楽しいですし毎日面白いです。
ーーーアメリカに渡って、レスリングへの向き合い方に変化はありましたか?
練習との距離感が大きく変わりました。
以前は「やらなければならないもの」という感覚が強かったんですが、今はそうではなくなっています。世界最高峰と言われる環境で練習できているので、毎日「早く練習に行きたい」と思えるんです。
10時間嫌々練習するより、2時間でも楽しんで取り組む方が絶対にいい。今はそう感じながら日々を過ごしています。
ネガティブな自分もそのまま力に変える。やりたいことをやるという自由。
ーーー試合前、マットに上がる直前は、どんな気持ちになるものなんですか?

正直かなりネガティブになります。「負けるかもしれない」という不安を抱えたまま会場に入ることが多いんです。
ただ、負けることを前提に相手を研究し、負ける要素を一つずつ潰していく。そうすることで試合本番では冷静に、慎重に戦えるようになっています。ネガティブな性格を準備の材料に変えているような感覚です。
ーーー試合の時に緊張はするものですか?
かなりします。試合は、これまで積み重ねてきたことの発表の場のようなものなので、緊張するのは自然なことだと思っています。
ーーー緊張で萎縮してしまう人もいれば、それを力に変える人もいます。小野選手はどちらのタイプですか?
強さに変えられているという自信はありませんが、少なくとも緊張のせいで実力が出せなくなる、ということはないと思います。
ーーー最後に、レスリング以外も含めて、普段から大切にしていることを教えてください。
やりたいことはやるし、やりたくないことはやらない。それを大事にしています。学校も、行きたければ行くし、行きたくなければ行かない。練習も、やりたいと思った時にやる。そのくらいシンプルな基準で動いています。
小野正之助選手のSNS
- Instagram:@onomasanosuke61
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